自分の親の入院から始まった遠距離介護も早14年。
父、義母、義父を見送り、母はグループホームで95歳。
母は若いときは病気がちで、私は早死にすると口走っていたが、一病息災というやつで、施設でもスタッフさんたちに愛されて暮らしている。
私は・・というと、ここ数年実家の断捨離の日々。
自分の実家に帰ると、まずは庭の草取り、留守宅の掃除、ご近所のあいさつ回りのあとは、ひたすら片付けだ。最近は兄夫婦が本気を出して、押し入れの古い布団類を全部処分してくれた。これで大分スッキリしたはずだが、なんのなんの田舎の大きな家はいくらでも収納できるので、まだまだ序の口だ。実家のほうは持ち込み可能なごみ処理場があるので、帰省中は毎日のように持ち込んでいる。
旦那の実家は都内なので、ごみを出す日にあわせて帰る。面倒なので、1Fの和室がゴミ置き場になっていて、ある程度たまった時に一気に出すが、あまりたくさんも出せないので気を使いながら。。
戦中派は物を捨てないのです。最初断捨離を始めたときは、なんでこんなものを取っておくのか??と思ったようなものが沢山。
ポケットティッシュやトイレットペーパーが売るほどあった。オイルショックの後遺症ですかね。タオル、シーツの類も押し入れに山ほど溜まっていた。
あとは贈答品ですね。昔は、お中元、お歳暮が盛んだったから、上等のハンカチやタオルセット、食器などが沢山。
ただ、こういうものは結局は全部売るか捨てるかできるが、困るのは日記、手紙、写真の類。人生の記録なのでむげには捨てられない。どうするかなあ・・
親の遺品整理をしていると、自分の終活も考えてしまう。
ということで、並行して自分の終活。日記、写真、手紙、コピー楽譜、年賀状などを徐々にデジタル化中。整理する過程で、自分史を作っているような気分。
過去の自分はもはや他人のような存在で、どうしても思い出せないことも多々ある。
一時的に知り合った人からの年賀状は、もはや誰だったのか全くわからないことも。。
逆に写真を見て名前が出てくる人も多い。記憶ってどうなっているんでしょうね。
年賀状はもうやめようかな。。。まだ早すぎるけど、SNSですぐ連絡が取れるのに改めて年賀状もないなあと。年賀状だけでつながっている同級生とか仕事仲間とかもいるので一概には言えないが。。
終活って、人生納めがメインだが、これからの人生余分なものをそぎ落として、大事なものに集中するという側面もある。あと何年生きられるかわからないが、一度しめてもいいかなと思う今日この頃。