日記

昨夜は寝付けず、あれこれ考えていたのだけど、起きて昔の日記と写真を読み返していた。

小学校の頃から日記はつけていたが、高校時代は

特になし。

上京したころは、知り合いも少なく、浪人していたので大量に日々の想いが綴られている。

その後は、飛び飛びだが、なにかあった時の事は書き留めているので、後から読むと当時の状況を思い出す。

 

昨夜読んだのは、介護が始まった2010年ころから数年間のもの。

2010年~2012年の3年間は、父と義母を見送った日々。

2009年の大みそかに母がベッドから寝ぼけて落ちて、ろっ骨を4本骨折。まあ、骨が強いので骨折というよりヒビが入ったのだが。

パーキンソン病で身体が動きにくくなり、認知症も出始めていた父の介護疲れからだった。

実際は2008年から私の遠距離介護は始まっていたが、本格的になったのが2010年。自分の車を持って帰り、毎月のように帰省する日々。

2011年、3.11直後に父が腸の手術で入院して6月に逝去。

8月に初盆を終えて帰ってきたら、義母の様子がおかしい。

認知症が始まっていた。物忘れ外来に連れて行くのも一芝居うたないといけない状況だったが、なんとか薬が効いたかと思われる頃、歩けなくなり入院。そのまま老健に入所。

 

私の場合は、どちらの両親も経済的に自立していたので、施設への入所がスムーズで、かつ、手厚い所だったので本当にラッキーだった。

義母は施設にやっと慣れたかなという頃に、食べられなくなり老衰で亡くなった。

 

義母のお見舞いに行き、帰り義父の夕食を作って食べさせ、そのまま東京駅から夜行バスに乗って徳島に帰り、母を自宅に連れて帰って一緒に買い物やドライブということも結構あった。そうそう、そして夜行バスで横浜に朝戻り、スパで気分転換してそのまま出社していたっけ。

 

今思うに、10年前はまだ50代半ばで、体力はあったのだ。

 

先日、父の13回忌の時、姪が1泊でとんぼ返りの帰省して、子供たちを連れて祖谷のかずら橋まで往復して大はしゃぎし、法事が終わると子供たちと羽田に飛んだ姿に若いな~と感嘆していたのだが、50代の自分もそれくらいの事をやっていた。

 

60代後半の今、いかに体力が落ち、それと共に気力も落ちているかを改めて痛感した。しかもこの間にいくつもコンサートをこなしていた。

フルタイムで仕事をしながら、週末2つの実家にとび、コンサート活動も一番沢山やっていた時期だった。忙しい時ってエネルギーがあるんだねえ。。

 

もう思い出せなくなっているディテールを改めてなぞり、自分にはっぱをかけました。

 

やっぱ、攻めの姿勢ですよ。

 

最近の日記は、1行くらいの簡単なもので、これじゃあなあと思うけど、まあそれくらいしか感じていないということなので、それもまたリアルな現実ということで。

 

それでも、10年後に読み返したら、まだ若かったと思うかもね。