書とのかかわり

書道を始めたのは母の影響だ。

母は銀行員だった。徳島のド田舎に嫁いで、年寄りのいない家で共稼ぎで子供2人育てたので、私たち兄弟が大学を出るまでは必死で働いた。

私が卒業したとたん、定年1年前でや~めたと退職し、それからはお稽古三昧と婦人会活動に邁進。

お茶、お花、盆石、書道、料理を習い、すべて師範と調理師免許を取った。半端ない集中力。(ちなみにB型)

教えたのは書道だけで、納屋を改造してお稽古部屋を作った。近所の子供やお母さん方に教えていたが、まあ学童みたいなもんやと言っていた。放課後から夕食までの間、子供たちを預かっていたようなものかもしれない。それでも、日本習字の皇研修所に子供たちも連れて通っていた。父はそんな母のアッシー君として、京都まで送り迎えをしていた。8段を取ったのは、習い始めて10年くらいはたっていたのかなあ。

私は、観峰先生の最後の8段だが自慢だったが、本当に、母が8段をとって間もなくお亡くなりになった。

8段を取った後は、8段のお仲間が作っている皇会という勉強会に入り、メンバーの方々と勉強会を兼ねた旅行をとても楽しみにしていた。

私が皇会に関わるようになったのは、父が亡くなった翌年、父の介護で何年も参加できなかったので、今年は行きたいと粘った。施設のスタッフの方にも、連れて行ってあげて下さいと頼まれ、仕事を休んで母を迎えに行き、一緒に岩国まで行ったのが始まり。翌年に、母から「付き添いで行くのに、書道と無関係はまずい」といわれ、母の生徒になる。共通の話題ができるといいかなくらいのノリだったが、会で皆さんの作品を見るたびに私もこれくらい書けるといいなあという憧れが出てくる。

母は最初は面倒を見てくれたが、すぐに事務手続きが面倒になり、自分でやってと通信教育に切り替えられる。それからは、手探りで課題を出していくだけ。

始めたからには師範(5段)取るまではやろうと、ダラダラ続けたが、準5段から5段になるのに2年近くかかり、もうやめたいと何度もあきらめそうになった。

それでも続けたのは、母に負けたくなかったから。

5段を取ったら欲が出てきて8段までやろうと決めた。それが去年の今頃。

半年で6段を取るためには、まじに性根を入れないとと、昇段試験の7月前に仕事を完全在宅に切替えた。苦手の中字、条幅、隷書の時間を大幅に増やした。

7月は毎日10課題を書き続け、何とか提出したが自信はなかった。でも10月に合格。

この辺りから、書に向き合う姿勢が変わってきたかも。

中国の古典の臨書は練習として大正解。いろいろ勉強方法を検索しているが、書の歴史を学ぶ上でも、古典を学ぶのは王道みたい。

本当は書家について学ぶのが早道なんでしょうが、ここまで手探りで来てしまったので、自己流を貫こうと思っています。